2017年1月12日(木)
農業の高齢化と後継者不足が言われて久しい。
一時期流行した「もし日本が100人の村だったら」に例えると、日本の食料自給は2人の農民と1人の漁師に委ねられていて、そのうち2人はすでに65歳を超えているのだそうです。
このままいくとあと20年ほどで、20年前には若手と呼ばれていた老人が一人で100人の食を担っていくということになるのかなあ。
そうなると、残った私たち若手(笑い)は大儲けだなあ。
とか、ボンヤリとほくそ笑んだりしてみますが、どうも問屋はそう簡単に卸してくれないようであります。作り手の減少と高齢化は、同時に消費者の減少と高齢化でもあるからですね。
「毎年みかんを買ってくれていたお客さんから注文が入らなかった。どうしたのかなと思い聞いてみるとお亡くなりになっていた。」というような話を耳にしたり、店頭では「みかんが売れない。そもそもお客さんが来ない。」という話も聞き、その小売店も高齢により店じまいを考えている。したがってみかん相場も低迷し、その打開策を打ち出せる体力も市場に残っていないという、結構切羽詰まった状況にあります。
中央政府は農業を強くするだとか、攻めの農業だとかのスローガンの書かれたウチワでせっせと扇いでいる様ですが、風はこちらまで届いて来ません。
こんな書き方をすると、この地方全体がどんよりとした薄暗いネガティブな空気に包まれてしまっているような感じですが、実際のところは呑気な熊野体質とでもいいましょうか、冬でも昼間はポカポカと暖かい陽気に包まれ、目の前には日差しに照らされてキラキラと光る太平洋の大海原、遥かに続く真っ直ぐな海岸線から聞こえてくるのは、玉砂利を優しく揺らす引いては返す波の音。
そんなゆったりとした土地柄が、人の気持を大らかにしてくれます。
「お日様は皆にまんべんなく降り注ぎ、そして今日という日はだいたいこんなもん。」
ネガティブな会話の中にも「みんな一緒だからまあいいかぁ。」という雰囲気がみてとれます。
陽気でのんびりとしたネガティブワールドです。
そんななか、片田舎のこの地方にも新規農業参入者というのが毎年数名ほどいるのだそうです。都会の便利さに憧れるこちらとしては、なんでわざわざこんなとこまで?という気がしないでもないのですが、それぞれがそれぞれの思いというやつです。
彼らにとっては農業が職業として魅力があるように映り、その職業に対してきっと目的や勝算があるのでしょう。そんな意欲がとても新鮮に感じるし、今この地方に包まれている明るい閉塞感に、新たな光をもたらす可能性は小さくはない気がします。