初夏の

初夏の

当ブログを読んでいただいている皆さまへ

ご無沙汰しております。
当農園ブログは諸事情によりしばらくお休みを頂いておりましたが、これからまた投稿を再開してまいりますので、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

休止中も農作業は通常通り行っており、作業内容なども書き溜めていますので、これからしばらくは過去記事の更新が続きます。
相も変わらず駄文多めですが、良かったらお付き合い下さいませ。(過去に書いた記事ですので、日時や天気の話しに多少ズレが見られますがご了承下さい。)

2023-05-11

ゴールデンウィークも過ぎたというのに今年は昼間も気温があまり上がらず朝晩に至っては肌寒さを感じるくらいです。
毎年この時期は暑さに慣れない体にムチを打ちつつビールのことばっかり考えながら作業をしてるわけで、それをを考えれば楽っちゃあ楽なんだけども、それがはたしてみかんにとって良いことなのかどうなのかというとちょっと分からない。

お天気が毎年同じだと管理がしやすいのだけど当然そんな訳にはいかなくて、「これはあの時の状況と似ているな、きっとこれからああなってそうなるからこれをやっておこう!」という風に作業スケジュールを組み立てることができる経験値が決定的にモノを言う世界なのですね。

みかんの場合は天候や管理によって味が大きく変わってしまいます。北東農園では「昨年と同じもしくは昨年より少し美味しい」というところを目指しているので、その年の気温や雨の回数や量や花の数や樹の健康状態などを全部ひっくるめて最適に管理をする必要があります。
これには勉強で得る知識も大事なんだけれど、過去のデータや論文に書かれていないその裏側を知っていくというのも同じくらい必要なのです。

思い起こせば私が就農して約20年くらい(はっきり覚えていない)経ちますが、20回の天気を経験して未だ「あ、これはあのときと同じ・・・」なんていう経験が無いということを考えれば、半年先の未来を見るためには何十回の過去が必要なのだろう、もっと早くに畑に入っていれば良かったのかなあ。なんて思ったりもするわけですが。

ただ、それこそ子供の頃から畑に出ていた親父の「経験に囚われ過ぎて新しい知見が受け入れ難くなる」というのを見ていると、あながち「ほかの世界の経験値」も農業を行う上で要素だったりするのだろうなぁとは感じます。

親父からすれば「経験もないのに理屈ばっかり言いやがって!」という気持ちだったろうと思います(顔を見れば判りますw)が、言い争いや時には足の引っ張り合いみたいな不毛なこともしながら、2つの経験値をゆっくりとかき混ぜていたのだと今になればですが思います。

最後の方は少し離れた場所で小さくうずくまりながら草を抜いている姿を見ると、渡されてもいないバトンをひったくって置いてけぼりにしてしまったような少し申し訳ないようなそんな気持ちも残ります。

「百姓は死ぬ前の日にも苗を植える」という言葉があります。親父が積み重ねてきた時間を私にとってのスタートラインとし、バトンを手から離すことなくさらに前へ歩みを進めて行きますので、とりあえずはゆっくりの休んで、たまには空の上から覗いてみて欲しいなと思っています。

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