枝葉の一本に込められた理屈。

枝葉の一本に込められた理屈。

2017年5月23日(火)


長きに渡った剪定がやっと終わりました。

1月下旬から始まり、施肥やら除草やら防除などの作業を途中に挿みながらですが、実に4ヶ月 笑 。

1haに満たない畑でこの時間 笑 。

畑の広い人たちはどうしているのだろうなあ。

極早生みかんから始まった現在の「隔年交互結実による低木垣根仕立て風剪定」(一見難しいっぽいネーミング)も形が出来つつあり、成果を見ながら早生みかんやその他の中晩柑へも適応を少しづつ進めてる最中です。

剪定論。

北東農園は父と私の2人で営農する小さな農園ですが、ここで問題となってくるのが私と父の剪定方法がまるで違うということ。

かれこれ数十年続けている剪定に絶対的自信を持っている親父様と、お客の嗜好や技術の進化に沿った変革が必要である。剪定も然り。と主張する私。

昔ながらの伝統を大事にする先代と変革を迫る後継ぎ。

なんだかよく聞く話ではありますが・・・。

みかん業界においても、戦後の経済成長時代と現在とでは明らかに状況が変わっているのは明白なのですが、変革の必要性やらそのための方法を説明、解説、説得を試みても聞く耳を持ってもらえない。

特に農産物生産の現場では、今まで持続してきた栽培への自信と、収穫高は天候や市場相場によって左右されるものであり、つまり現在の状況は我々のせいではなく農業は不変なのだという考え方が根本にあり、さらに「親子=師弟」という関係が余計に話をややこしくさせているわけです。しかしこちらとしては「絶対に残すべき枝」を切り落とされちゃたまらんわけです。

やがて枝葉の一本の必要性と不必要性を非建設的に新旧の理屈を並べ立てて主張し合うこととなり、

最後には私の「もう木に触るなっ!!」っていう、後味のワル~い暴言で会談が終わりとなります。

2人共「良いみかんを作る」というのは共通認識としてあっても、それがどういうものかが漠然としているが為に起きる軋轢なわけですが、それは「分かってもらいたい。」と「80半ばの老人にそれは無茶。」っていう葛藤でもあります。

剪定に長い時間がかかるのにはこのような理由があったりするのですね。

あはは・・・