当たりハズレ(前説)。

当たりハズレ(前説)。

2017年9月9日(土)


日常には多くの「当たりハズレ」が転がっています。願わくばハズレ無しの人生を送りたいと思いつつも、「当たりっぱなし」はいわば「緊張のない緩和」ということになり、「緩みっぱなし」ではあまり楽しくなさそうです。

「当たれば嬉しい」「外れてガッカリ」というこの2つの感情は、生活にメリハリをつけてくれる大事なアイテムです。

今日は少しカギカッコ多めです。

 

新しく出来たラーメン屋に「当たりハズレ」を楽しむために並びます。

宝くじや懸賞なんかの場合は、もともと当たる確率の低いことが分かっているため、ハズレても怒りが湧くということはなく、「いつもこんなに買っているのにぜんっぜん当たらない!」のは、投資が足りないのではなく「ひょっとして自分の人としてのあり方に問題があるのではないだろうか?」と、自分と向き合うきっかけになったりします。

バッターの「ヒットと空振り」と、ピッチャーの「よっしゃあーと、あっ!」が複雑に入り交じるから野球は見ていて飽きないのです。

新発売されたガリガリ君の当たりハズレは一種の風物詩といえ、シチューやナポリタン味がソーダや梨味をより際立たせ、さらには棒に「当たり」と書いてあればもう一本です。味は「ハズレ」ても「もう一本」は、「ハズレが当たり」なのです。

つまり、ハズレがあってこその当たりな訳で、「ハズレのない当たり」というものは存在しないのです。

このように楽しみとしての「当たりハズレ」においては「ハズレても怒らない」というのが前提となっているわけですが、

そんな訳にはいかない物も多々あるわけで。

 

基本的には「必要として購入した物」に対して、支払った金額に見合う満足が得られなければ「不満や怒り」が生じます。

機械などの工業製品において機能上問題があって使えない物については「ハズレ」ではなく「不良品」となり、ガッカリではなくクレームが発生します。

食品においても食べられない状態のものは「ハズレ」ではなく「不良品」として扱われます。

ちなみに就職先だとか結婚相手だとかの場合は、「人それぞれ」となります。

そして我らが農産物。そしてうちのみかんの取扱い。

ここまでの前説が果たして必要だったのかどうかについては自ら不問に処して、次から話がぎゅぎゅっと絞り込まれますよ~。

みかんだけに~

 

まさかの本題に入らないまま終わるという・・・

 

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