攻めの農業。

攻めの農業。

2015年8月5日(水)


先日テレビの番組でコメの輸出をしている生産者組合をとりあげていました。
価格と消費が低迷する国内販売に比べ、海外では美味しい日本のコメはブランド品として高い評価を受けていて、これからの農業として大きな可能性と生産者のやる気を引き出しているといった内容でした。

「攻めの農業」に転換して強い農業に作り替えることこそが成長戦略であり国策の柱である。
まずはJA改革によって悪しき農協の呪縛から農家を開放し、自由競争の中で農家は強くなり、さらにTPPが強い農業をつくるきっかけとなる。儲かれば当然若い人たちの農業参入も増えてくるので農業の未来は明るいのだ。
過度な保護政策の元、企業努力もしない農家には未来なんかいらないのだ。・・・と。

 

まるっきり工業製品と同じ扱いです。

 

食糧の話なのに。

 

「日本の食糧自給率は40%を切り主要国最低である。」は農水省のまやかしで、生産高で見れば他国と同水準。だから自給率の問題は存在しないのだそうですが、実際1億3千万人が一日3回口に入れる食糧を確保し続けるのはそう簡単ではないはずです。

冷夏と数個の台風によりコメの生産量が25%下がっただけでパニックになったのはほんの少し前。
異常気象が異常とすら言えないような不安定な気候が続く昨今、食糧を利益誘導の手段として扱うことが正しいとはどうしても思えない。

食料やそれを作るための資材などを輸入に頼っている危うさをよそに、まるで「冷蔵庫を開ければ食べ物がいっぱい入っているから食糧なんかいらない。」と言っているみたいです。

「冷蔵庫の中身が少なくなればスーパーに行けばいくらでもあるからJAなんかいらない。」と言っているようにも聞こえます。

 

捻くれてます?

 

資本主義経済で農業を括り、競争原理で農業を問うこと自体が本質を歪ませていると思うのです。

「大事なのはその食料を買うお金を稼ぐことである。」

 

本末転倒。

 

2つの農業

田畑が田畑であり続けるためには常に手入れが必要です。山間の急斜面を耕し農産物を生産するということは、考えられないくらい非効率的である代わりに、田舎を象徴する風景を作り出すとともに、災害を防ぐ環境保全の役割を持っています。
その大役を担ってきた人達に残された時間はそう長くなく、やがてその後を継ぐのは農家ではなくブルトーザーというのはほぼ間違いないでしょう。そこに新たな需要が生まれるというのはあまりに無残な理屈。

農地集積でコストを削減することで競争力を上げ、さらに、高い品質を生かして輸出に打って出ることで儲かる農業と、効率では語れない日本独自の風土を生かした多様な食文化を担っていく小さな農業。

自由経済に翻弄されずにこの2つの農業を同時に維持し発展させていくことは不可能ではないはずです。 市場の公平さとは別の引き出しが必要です。

空気と水があって食卓に食べ物が並ぶという基本的なことを永久に続けていくことが最も大事なことではないのでしょうかと、テレビを見ながら珍しくそんなことを考えてみたりしたのです。

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