草考。

2016年1月24日(日)

だいたいにおいて単純作業を延々続けていると(あ、先日の記事「草を見ずして」の続きです。)

  1. なんでこんなことせなあかんのやろか?
  2. やってることとは全く関係ないことを考えている。
  3. 手足は動いているもののボ~っとした状態。

が順繰りに頭の中を巡ります。
普段から3番目が8割方を占めているのは仕方がないとして、グチっているだけに見える1番には哲学的要素が含まれ、2番からは泉の中に思わぬ金の斧が見つかる可能性はないともいえません。

そもそもなぜ除草が必要なのかということを考えてみる。

上農は草を見ずして草を取り
中農は草を見てから草を取り
下農は草を見て草を取らず

1600年台に中国で書かれた農書の一節ですが、日本では二宮尊徳の言葉として広く伝わっていますね。

賢い農家は問題が出てくる前に摘み取り、普通の農家はやるべきことが出てから腰を上げ、怠け者は何もしない。

というような意味合いを持ち、道徳的な教訓として解釈をされています。

子供に対しては、今のうちに努力しないと後悔することになるんだよ!と言い、親に対しては、大切な子供の成長を妨げる悪いものは早めに摘み取ることが大事なのです!!と教えるみたいです。

農家のあいだでは、その人の畑を見れば農家としてのランクが判ると言われ、勤勉さをを測る物差しとして用いられることがあります。
そのため草生栽培や自然栽培などの雑草と共存させる栽培方法は外道だと言われた時代もあったそうです。

封建的勤労主義

草刈機や除草剤がなく効果的な肥料もない時代、作物が雑草に負けないために除草は必須であり、それは手作業で行われていました。

そして雨が多く雑草の種類も多い日本では短期間で雑草域が広がっていくので、人に迷惑をかけないためにも除草作業は怠ることが出来なかったのです。

永遠に終わることがなく、実利が殆どないことをコツコツとまじめに取り組む姿は百姓の鏡であり、美徳の象徴とされてきました。

炎天下での過酷な除草作業は風土的な 宿命

日本農業の核心

労を惜しむことは悪徳

みんなやっているのになぜお前はやらないのか?

というような封建的な勤労主義的精神が出来上がってきたわけですね。
なんだか日本人の核心っぽいところでもあります。

農業の現場では

実はこの農業指南書に書かれた「上農は・・・」という言葉は、道徳的な教えを説いたものではなく、

草が大きくなって種を落としたり株別れを始めたりする前に中耕(土をかき混ぜること)するのが一番効率が良いのです。面倒くさがって先送りなんかせずにこまめに早めにやるべし!!

という雑草対策への実際的なアドバイスに過ぎないのですね。

それがいつしか心構えとして用いられ、道徳的教訓とかにスライドしていって「そもそもなんのために」が忘れられていくというのも、なんだか日本人的です。

そもそもなんのために

そもそも除草って必要なの?という話です。

が、

また長くなりそうなので次回に先送りして今回は之にて!!