北東農園OnlineShop

旬な柑橘をお届けします。

2024年産「極早生みかん」

10月15日07:00より販売開始です。

10月20日頃より順次発送します。

「極早生みかん」の販売は11月中旬頃までの予定です。(なくなり次第終了です)

お待たせいたしました、いよいよ北東農園の柑橘シーズンが始まります。
温州みかんはこれから12月まで品種を変えながらリレー販売していく予定です。
皆様にご満足頂けるものを厳選してお届けしてまいりますので、2023-2024年シーズンもどうぞよろしくお願い申し上げます。

商品内容の変更につきまして。

北東農園では「極早生みかん」として「大分」「日南」の2品種から完全着色・完熟で美味しいものを選別して収穫をしてまいりましたが、2024年度より新たに「みえ紀南1号」という品種が加わることになりました。
この「みえ紀南1号」は完全着色・完熟直前が一番美味しいという特性があるため、果皮に青みが残った状態で収穫されます。
従いまして販売当初(10月中旬~下旬)は少し着色不良のものが入りますが、日にちが経つごとに完全着色のものに変わってきます。
美味しいものだけを吟味して箱詰めしておりますので、果皮色にかかわらず十分ご満足いただけると自負しております。

これまで通りの完全着色・完熟みかんをお求めの場合は、10月末頃よりのご注文をお願いできればと思います。

*「みえ紀南1号」や「大分」など品種のご指定は出来ませんのでご了承下さい。

詳しくは下のリンクボタンからご確認いただけます。

送料改定のお願い。

当園では商品発送に掛かる送料をお客様にご負担いただいております。
先日、燃料費や運送コストの高騰による理由から、当園委託の運送業者である「ゆうパック」様から運賃値上げの通知がありました。
従いまして10月分から送料の改定をさせていただくこととなりました。
誠に苦しいお願いではありますが、ご理解を賜りますようよろしくお願い申し上げます。

*お願い

美味しいと判断したものから順に丁寧な選別を心がけての収穫を行なっていますので、ご注文を頂いてから発送まで数日ほど日にちを頂いております。
しっかりと美味しいものだけを厳選して収穫発送させて頂きますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。

*お急ぎの場合は「お支払ページ」の「注文メモ」欄にお書き添え頂ければできるだけ対応させて頂きます。(到着日指定は出来ませんのでご了承下さい。)

商品説明

 極早生みかん

秋の訪れとともにみかんの季節がやってきます。
現在店頭に並んでいる極早生みかんといえば、「青切りみかん」や「早採りみかん」などとも呼ばれ、甘酸っぱい爽やかな味が特徴のみかんとして知られています。
青みが残った色には旬の先取りという意味合いと同時に、今の時期はまだ気温が高い日も多く果実が痛みやすいため、迅速な収穫が求められます。

北東農園では、みかん本来の味を楽しんで頂きたいという思いから、独自の栽培方法を使い極早生みかんの特徴であるジューシーさと酸味を活かした上で、充分美味しくなるまで熟成させています。
当農園の栽培面積の60%を占める自信を持ってお薦めする主力商品となっています。

 独自の栽培方法

北東農園のみかんは、必要な肥料養分を最小限に抑え、雨水をコントロールする「少肥マルチ栽培」と、一年おきに結実しようとするみかんの特性をそのまま生かした「隔年結実法」という手法を組み合わせています。

一年間ゆっくりと樹を休ませて、樹や果実に必要とされる栄養を蓄えます。そして生産年は肥料を控えた上で夏前から収穫が終わるまで防水シートを地面に敷き詰め雨水を遮断します。
そうして養分と水分を最小限に抑えることで、みかんの持ちえる最大限の美味しさを引き出していきます。

 新品種「みえ紀南1号」

「みえ紀南1号」は三重県のみで栽培される県独自の極早生品種です。
極早生種の中でも収穫時期が早く、とりわけ糖度が高いという性質があり、酸味がありながらも雑味が少ないため非常に美味しいみかんとなっています。
しかしながら完全着色まで樹上に置くと味がボケる性質も持っているため、少し果皮に青みが残る状態で収穫されます。

当園ではこの品種の導入により販売時期が早まり、より長い期間「極早生みかん」をお楽しみいただけるようになりました。

2024年の作柄

食味レベル:4(昨年より1ランクアップ)

全体的な評価としましては、濃い味の小玉割合が多いので、昨年より1ランクアップした「レベル4」としました。
中玉(Mサイズ)は果汁が多い分、小玉に比べると少し薄味に感じるかと思いますが、それでも十分に美味しいと感じて頂けると思います。

今年の極早生みかんは、昨年とは一転して収穫量が多く小玉傾向となっています。
おそらく天候などの影響と思われますが、花の数が多くその後の生理落果も少なかったため着果数は昨年を大きく上回りました。

梅雨明け後の高温と干ばつにより果実肥大があまり進まず、昨年と比べ一回り以上小さなサイズの仕上がりとなっています。
全体的にはMサイズ以上のものが少ない反面、小玉の2Sサイズが多く出来ています。

着果数と夏場の干ばつで樹への負担が大きく、過度なストレスを緩和するため頻繁な潅水を行いました。
そのため「菊みかん」は少なめとなっています。
また食味に関しては小玉が多いということで、味の濃いものが多く出来ています。

*「菊みかん」は、夏場の水分ストレスが強く掛かった時に出来る果皮がデコボコしたみかんの名称です。

食味レベルについて

当農園では糖度測定器を備えていないため、糖度などの数値は明記していませんが、お買上げの目安として、その年の平均食味レベルを5段階で表しています。 レベル3を販売基準とし、それ以上に関しては区別しません。また、レベル2以下のものは販売いたしません。

※ あくまで当農園内での食味基準です。他農園や他品種との比較ではありません。

「食味レベル」の詳しい説明はこちら「美味しさについての考え方」でご覧いただけます。

みかんのサイズや発送につきまして。

酸っぱいなと感じた時は。

食べ頃での収穫を心がけていますが、サイズが小さいもの、または果皮のデコボコした「菊みかん」などは酸味を強く感じる場合があります。
酸味が気になる時は、腐敗を予防するため通気性の良いカゴなどに移し、温度や湿度の高い場所を避けて保管して頂ければ、日にちが経つごとに少しづつ酸味が抜けてきます。
サイズの大きいものや皮の柔らかいものから食べて頂くことをお勧めします。

保存方法。

柑橘類は湿気と高温により腐敗しやすくなります。保存する場合は箱から出して通気性の良いカゴなどに移し、湿度の低い日陰などで保存していただけますようお願いします。
外観の悪いものは日持ちが短い傾向にありますので、お早めにお召し上がりください。

配送や日時のご指定につきまして。

「ゆうパック」でお届けします。
天候により収穫が停止したり、在庫や果実の状況で発送のタイミングが変動しますので、到着日のご指定はできません。(時間指定は可能です。)
ただし特定の曜日を避けるなどのご要望にはできるだけお応えいたしますので、「お支払ページ」の「注文メモ」にお書き添え下さいませ。
また、「不在時には宅配ボックスへ」等のご指定もありましたらご記入下さい。

 マイアカウント

マイページでは、最近のご注文の確認、お届け先住所と請求先住所の管理、パスワードとアカウント詳細の編集などが行えます。

 ご利用ガイド

ご注文方法や送料などの確認、その他利用規約(プライバシーポリシー)や特商法表記もご一読ください。

 お問い合わせ

商品やご注文についてのお問い合わせや、ご不明な点がございましたらお気軽にお問い合わせ下さい。

黎明が丘。

黎明が丘。

 

2015年1月16日(金)

年末に大掃除をしていたら昔の写真が出てきました。
祖母の顔は、離れて住んでいたのでほとんど記憶になくて、たぶん遊びに来たので記念に撮った写真なのでしょう。ああ、そういえばこんな感じだっけかなあ。という程度ですが、後ろに写っている家の記憶は鮮明です。

写真の裏には昭和39年と書いてありますが、この時点で相当な年季が入っております。

昭和39年(1964年)といえば東京オリンピックの年で、私が2歳の時です。記憶に残せるほど大きくなった頃には壁の漆喰などは修繕していたのでしょう、白く綺麗で庭ももう少し整っていました。

そしてもう1枚。

IMG_昭和39年1月

右側に姉が写っていますが、一番手前の子供がなぜか私ではありません。

後ろの洋館風の部屋が、最初の写真と同じ棟続きで一軒の建物となっています。

向かって一番左に竹格子の丸窓の付いた茶室風の和室があり、その右の縁側の奥が居間になっていて、そこから土間を伝い土足で入る、フランス窓の付いた洋風ダイニングに通じています。

さらに、バナナの樹が生えている庭を挟んでもう一つ建物がありましたが、ここはすでに倉庫として使われていたので、ただ暗くてみかんの木箱が積み上がっているだけの、かくれんぼをするときだけ入るような建物でした。それと外の道に出るために上がっていく坂の途中にもう一軒の倉庫。ここもみかん箱やら道具類で埋まっていました。

しかしこの二軒の倉庫も以前は住まいとして使われていたような作りになっていて、全体的には小さい山の中腹の土砂を削り、周りから目につかないような形で一つの敷地の中で三軒の家が建っているという感じです。

小さい子供にとっては、そんなちょっと風変わりな家に住んでいることなど意識するはずはなく、遊びどころ満載だけれど古くて寒くてちょっとジメジメとしていました。
大きくなるにつれ「お前んとこの家、変やなあ。」とか言われて、友達を呼んで遊ぶのが恥ずかしくなってくる、そんな家でした。

南紀新しき村。

その後、高校生になった頃、老朽化に耐えかねて少し離れた坂を上がったところに新しく家を建て移り住むことになりました。

それから長い間この家は倉庫として使われながら半ば放置されるのですが、実はその風変わりな家は、大正時代に武者小路実篤が九州宮崎に創った理想郷「新しき村」をなぞらえ、「南紀新しき村」として創られたということを知ったのは、家が建っていた山ごと造成されて跡形もなくなってしまってからでした。

「黎明が丘」と名付けられたこの家は、当時社会主義者やアナーキスト(無政府主義者)達のアジトと目され、軍国に突き進む国家官憲の監視下に置かれて迫害を受けながらも、なお日本の夜明けを夢見る若者たちが理想郷をつくるために共同生活を送っていた場所だったようです。

その後、昭和になり、戦争が終わり、私の父がみかんを作るために和歌山からこの熊野の地にやって来た時には、「新しき村」も「黎明が丘」もすでに消え去り、いわれがあるとも知らず残った建物だけを買い受けたということらしいです。

今となっては文化財的価値があるように思えるのですが、その当時我が家は貧しく、半世紀以上経っている半ば朽ちかけた家で雨風をしのぐことだけで精一杯の状態だったようです。(幼いながら私にもそのような印象がありました。)

近年、大逆事件から100年という節目もあり、彼らの名誉回復の動きとともに「黎明が丘」の価値もクローズアップされてきたようで、たまに問い合わせがあったり、見学者が訪ねてきたりします。

今となってはみかんの樹が並んでいるだけの平らな土地に案内して「たぶんあの辺りに…」なんて二人で違う所を指さしたりするわけですが。

DSC_0044

 

「黎明が丘」が地名ではなく、建物の名前だったことすら知らなかった父と、自分の通っていた中学校の校歌に自分の住んでいる家の名が詠まれていることなど気付かないその息子。

父はあとから「あんなの(父のこと)に売ったりするからや!」という声も聞いたらしいですが、その当時は「文化価値があるので保存の方向で…」とかいう話はなかったらしいです。

そんなことで、うちに残っている「黎明が丘」の写真はこの2枚だけですが、これを見た途端、写真には写っていない裏側や屋根から見た景色、風呂を沸かしているときの薪の匂いまで鮮明に思い出しました。

昨日の夜ご飯の献立さえ思い出せないのに不思議なものです。

 

 

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